短刀をモチーフにした木製ペンケース「TANTO:」と印籠をモチーフにした木製カードケース「INRO:」。
スーツ姿にも似合うスリムなデザインのこれらの文具は、卒入学祝いや、就職祝いに人気の高いギフトです。
一本を削り出して、木という素材の魅力をふんだんに押し出した美しいフォルム。
精度感あふれる機構や内張り(「TANTO:」のみ)など、考えに考え抜き、オークヴィレッジの持つ技術を最大限に盛り込みました。
毎度のことながら現場泣かせのこちらの商品を、つくり手である制作部の視点からご紹介します。
- [1] 一つの分類では収まらない木製ペンケースとカードケース
- [2] 特長1 携帯用のスリムな寸法
- [3] 特長2 ナラ材の魅力を発揮した形状と造り
- [4] 特長3 木の塊を手にしているような感覚を
- [5] よいモノとは「よく考えぬかれているもの」
- [5] 商品情報
一つの分類では収まらない木製ペンケースとカードケース
オークヴィレッジには、「お椀から建物まで」という理念があります。
これはつくり手側からすると、使える技術の懐が非常に巾広く、開発に自由な発想が可能であると言えます。
木工は比較的小さな物に関して指物、曲物、刳物(くりもの)、彫刻、挽物などという分類がなされているのですが、
「TANTO:」と「INRO:」は、そもそもそのような分類のもとで開発をしていません。
強引に分類するならば、「刳物(くりもの)」かもしれませんが、「指物」的要素が無いわけでもありませんし、
蓋を削り出した姿は、ある意味「彫刻」的でもあります。
そのような既成概念を取り払い開発されたこのこれらの商品をつくる上での難しさというものは、結局
「指物でも刳物(くりもの)でも何にでもない」という点につきます。
大げさにいうと、芸術作品の彫刻にシビアな寸法精度を要求されている、というようなことになります。
特長1 携帯用のスリムな寸法
寸法といえば、「TANTO:」「INRO:」ともに携帯用ということで、デザインサイドからは「もっと小さく」という要求を常に受け続けてきました。
木材というものは、他の素材に比較すると、どうしても薄くつくることが難しいものです。特に小物を収納するケースのようなものですと、内容物からは想像もできない大柄なものになってしまう場合があります。
「TANTO:」の蓋を開けて、本体の肉厚をご覧ください。強度と大きさのバランスぎりぎりの薄さで仕上げています。
「INRO:」もポケットなどに入れることを考慮し、0.5mm単位で寸法を切り詰めています。
特長2 ナラ材の魅力を発揮した
形状と造り
「TANTO:」と「INRO:」を制作する上で、つくり手として最も誇らしげなことは、ナラという素材の魅力を発揮できる形状と造りです。
ナラに繊細な糸面(とがった角を糸のように細く削り取った面)は似合いません。というより、不可能と言ってもよいかもしれません。
これは太い導管を持つ材料全般に言えることですが、糸面を切り取ろうとしても、ピシャリと美しい一本のラインを描けません。
ナラの太い導管を蓮根の穴に例えると分かりやすいかと思います。蓮根に包丁を縦に1回、90度回してもう一回切り取ってできた稜線は直線を描くでしょうか。これが大根であれば話は別です。
力強く、時に荒々しいナラの木目には大きな曲面が良く似合います。かつての名作は皆そうであるように。
特長3 木の塊を手にしている
ような感覚を
「TANTO:」と「INRO:」は木の塊を手にしているような感覚を大切にするために、かなりの手間をかけています。
具体的には一本の材料を4等分にすることから制作が始まります。
身の部分は、厚み方向で材料を二枚に割り込んで内側を削り出し、再び接着することにより、より自然な木の質感を表現していますが、
蓋の方は加工上その必要がないことと、何より美しい「木口」を見せるために、あえて一本から削りだしています。
つくることだけを考えれば、そんなことをせずにすべて二枚にしてしまった方が効率はよいです。
しかし、それを行えば、最も目に付く木口面に余計な矧ぎ麺が露出してしまいますし、そもそもそんな加工をする必要はありません。
このように、ナラの素材の魅力的な「木口」をそのまま見せるために手間がかかっていることに思いを馳せていただければ幸いです。
よいモノとは
「よく考えぬかれているもの」
よいものとは何であろうか。いつも自分に問いかけている命題ではありますが、個人の尺度や思い入れに大きく左右されるものであるため、明快な答えはないかもしれません。
ただ、モノづくりをしている立場において、その一つの答えとして、「よく考えぬかれているもの」ということは言えると思います。
手間とは、必要のない時間を費やして自己満足することでないですし、ましては手間取ることではありません。
手間とは、よりよい意思であり、流儀だと思っています。何より、手間を省いた瞬間にモノづくりはつまらなくなります。
手間の対価とはある意味、モノづくりの楽しみそのものと言えるかもしれません。
ふと、一番近くにいる人に「良いモノとは何か」と問いかけてみました。
答えは明快に「居心地がよく、気持ちが豊かになるもの」ということでした。
そんなものがつくれるのであろうか、見果てぬ夢のような気がしてきました。