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安藤忠雄 展
2017年11月27日 (月)

安藤忠雄展を観てきました。

 

 

 

安藤忠雄ファンなので、建築の仕事してますけど安藤忠雄の建築物、建築と言う行為に、わりと、いやほぼ無批判に凄いな~、面白いな~と...

散々困難な現実と向き合っていて、こんな荒唐無稽な事考えるの?とか、色々と思ってしまいました。

僕の中で凄いなと思うのは、モダン建築、ポストモダン建築に対する問題を構成をしつつポピュラリティーを失わず、ずっと最前線に居座り続けていること。

 

例えば

『~私が、選んだ方法は、開放的で普遍的近代主義が作り上げた建築言語や技術を、個人的生活様式と、地域的差異のある、閉ざされた領域の中にあてはめることだと言えるのではないかと思う。』
これはケネス・フランプトン著『現代建築史』の安藤忠雄批評にでてくる一節で、安藤忠雄の論文の抜粋なのですけど、普遍性を求めたモダンの中で、そのカウンターが時代の雰囲気として要求された事に対する応答なのだなと。(地域性、個別性がカウンターとして求められる。普遍性の対極が、要求される。)

 

 

 

普遍性と言う近代の定立(テーゼ)の中に立ち、個別性をどう確立するか?と言う問題構成を自分で作り上げ、なおかつほぼ完璧な解答を、是また自分で探り当てる。

普遍性を建築のジャンルの中で分解すると、色々あると思うのですが、一つ、RC造と言うのがあるのだと言っています。安藤忠雄は。

 

世界のどこにでも流通している鉄筋コンクリート造―RC 造。当然構造力学とか、材料力学としての限界があって、それが、表現できる建築空間の限界となって普遍性として立ち現れる、そこにどうカウンターを当てて行くのか?と。
そしてその普遍性に、地域性-個別性+安藤忠雄と言うメンタリティーを挿入すると?...
即ちANDO建築になるのかしら? なんて事を思いながら展覧会をみていました。
もうそれは、まるきし『住吉の長屋』だし、『光の教会』だし、etc...だと思うのでした。

 

 

 

 

 

今回の目玉。光の教会

 

世界のANDO

そして、安藤忠雄は世界のANDO に。

世界のANDO 故に背負ものがでてくる。例えばアイコン建築、と言う事にも向き合って、ANDO なりの解答が暗に求められる。

 

仕事の中心は国家プロジェクト級のコンプレックスな建築プログラムとその建築。建築ヴォリュームは当然でかくなり、デカイだけで既にアイコンに回収されちゃう。いや、そのデカさに回収されてしまう。デカい建築の宿命だ。

 

Bigness

Bignessと誰かが言ってそのただただデカい、Bignessな建築における属性を暴いた、赤裸々に。

 

建築がある容積臨界を越えると、建築ヴォリュームとその内部空間、つまり内と外を覆う外皮には距離ができ、剥離され、その外皮≒ファサードは内部空間から解放される。=今までの建築における考え方だとか、作法のようなものは、そのBignessな建築の前では全て無効になってしまう。Bignessの前では善悪是非も無し。(良いも悪いも無い。仕方ない。)

 

そして、都市との関係においてもその巨大な建物は、都市組織の一部ではなく、独立した小都市のような存在になる。都市のコンテスト、と言ったような論述は全て無効になる。(今までの考え方が全て無効になる。)

 

つまり、デカさに全てが回収されてしまう、から、近代建築の定立(テーゼ)は全て無効になる。

考え方の拠り所が無効になる。だから安藤忠雄の近代的建築に対する問題構成も無効になってしまう。デカい建築の前では。

ちなみにBignessの論述は、もう一人の世界の建築界のビッグスター、レム・コールハースによるもの。ニューヨークに関するレポートを叙述詩風にまとめあげる過程で出てきた、センセーショナルな論述。

 

 

 

話しを戻して、ANDO はそのBigness問題構成に対しても、ANDO なりの解答をする。

 

上海保利大劇場

 

 

巨大なマス-建築ヴォリュームの中に、なんと言ったら良いのか?チューブ空間を挿入する。そのチューブは、Bignessな建築ヴォリュームの外皮に切断され、チューブの断面がファサード≒外皮に現れる。

Bignessとは言えその境界線、臨界はあるわけで。

外皮は、内部に応答してるわけで。

Bignessに対するひとつのアンチな解答なのかな~?なんて思いました。

まあ、そんな小面倒くさい理屈は抜きにして、ANDO 建築は、その空間体験が楽しくて、ワクワクする、と思うのです。
例えば、城戸崎邸は、その模型を見て、ルイス・バラガンの建築がその方個性を互いに変えて積層しているみたいなだな~ なんて。一つ一つ場を作ってるその丁寧さに、面白いな~、凄いな~、格好良いな~、と思うのでした。

 

いつものごとく、長くなりましたが、
ではでは。

 

藤塚 (設計監理)