ザハ・ハディド-建築家
東京新国立競技場の設計競技(コンペティション)の勝者。
AAスクール卒業。卒業後レム・コールハース率いるOMAに所属。
2年程所属した後独立し、自身の設計事務所を開設。
香港資産家主催のコンペティション(ピークレジャークラブの設計競技。UIA-国際建築家連合の承認を得た設計競技)にて、審査員の一人である磯崎新に、ボツ案の中から見いだされコンペティションを勝ち抜く。(あまりに突拍子もない案だった為、その前段階の選考からはもれていた。)
※磯崎新
クロスオーバーの権化。僕的には。
建築家 と言う肩書きだが芸術、アート、映像、そしてもちろん建築。それらに対するオーガナイザー、メタフィジカルな言説、そして、そのたたき上げの経験。(基本的な態度が、アナーキーだと思う。)
今となっては、多分、世界を見渡しても比肩する人は数少ないだろうと…
凄すぎて足元すら見えない!
話がズレた。それで、ザハ・ハディド。
コンペティション最優秀により、世界の建築界に彗星のごとくデヴューしたが(それまでは無名で実作も無し。)、資産家が破産した事によりその設計案は実現されなかった。
(ちなみにザハ・ハディド提出の設計競技案の題名は『The Peak』)
ザハ・ハディドドロイング-ピーク山全景
その後は世界の設計競技の常連となり、刺激的な建築物を多数建築。
1950年 イラク・バグダッド生まれ。
ちなみにAAスクールは主席で卒業。
2004年 プリツカー賞受賞(建築界のノーベル賞的な賞。)
AAスクール
イギリス・ロンドンにある私立建築学校。
正式名称 英国建築協会付属建築学校
Architectural Association School of Architecture
ぱっと見の有名どころは…
スティーブン・ホール、リチャード・ロジャース、デイビッド・チッパーフィールド、ケネス・フランプトン、レム・コールハース、そしてザハ・ハディド。
皆AAスクール卒業。う~む、蒼々たるメンバーだ~。
どんなカリキュラム?
そして、短期間の活動で世界中に、アナーキーでやんちゃな?ポップウィルスを蔓延させたアーキグラムの面々も。
アーキグラム『千の楽しみが隠れる部屋』
アーキグラム
ピーター・クック、ロン・ヘロン、デヴィッド・グリーン、デニス・クロプトン、ウォーレン・チョーク、マイケル・ウェブからなる六人グループ。
活動期間は1961年~1970年。
都市、都市生活、建築に関する架空のプロジェクトを、グループ名と同名の『アーキグラム』という同人誌に掲載し、ロンドンを拠点に活動する。
『アーキテクチュラル・フォーラム』誌(当時の世界的建築雑誌?)の最終号(1964年)に、それまでのアーキグラムの活動がまとめて掲載され、世界的に認知される。
架空の、そして時には荒唐無稽なプロジェクトが故に、建築についてまわる属性(地域性やスタティックな属性、構造力学的な属性、etc…)を棚上げにして発想できる=エキセントリックな問題提起をしたり、裏腹な意味を伝えたりと…
⇒その当時の『行き詰まった感』に対してのカウンターとして機能したのだろうと。
プロジェクトはドローイング、模型写真、サンプリングしてきたグラフィックを羅列、もしくはコラージュし、一つのヴィジュアルにする。
そのヴィジュアルは、まさしくポップアートそのもの。
ちなみにポップアート発祥の地は、他でもないロンドンで、アーキゲラムの活動と、ポップアート黎明期は完全にリンクしている。
リチャード・ハミルトン『一体なにが今日の家庭をこれほどまでに変化させ、魅力的にしているか?』1956年-ポップアートの先駆
建築、都市、都市生活に関する問題提起が、リアルタイムなポップアートとして表現されている。
当時、生真面目に建築や都市を勉強していた学生や、建築家の卵、建築界のエスタブリッシュメントにとっては色々な意味で衝撃的で、感染力が大きかったのだと思う。(理屈抜きにそのヴィジュアルに感染してしまう。)
バイオセイフティーレベルで言えば、レベル4 と言うところか?
アーキグラム:インスタント・シティー
※インスタント・シティー
トラベリング・メトロポリスと言う発想で都会のダイナミックな雰囲気を、3Dホログラム等を駆使して地方都市をツアーすると言う架空のプロジェクト。スタティックな地方都市をインスタントな都会にする。地方と都会の差異を意識したプロジェクト。
それを今の時代から照射すれば…
いやいやその都会自体スクラップ アンド ビルド(リアルな都市空間から、価値-流行、まで…)ばかりでインスタントだ と。
してみると都市-都会のリアリティーって…?
てな具合に、今となっても有意義なプロジェクトであり、有意義なヴィジュアルだ。
ポップが故に消費されていない、とはなかなか逆説的だ と思うのは僕だけ?
ザハ・ハディド
先にも書いたが、こちらもAAスクールの出身。
絵画のシュプレマティスムと言う抽象表現主義に影響を受けた。
世界デヴューのきっかけとなったコンペ最優秀の『The Peak』はまさしく、このシュプレマティスム:カジミール・マレーヴィチの絵画を建築に翻訳したような物件だ。
(実現には至らなかったが。)
シュプレマティスム:カジミール・マレーヴィチ
ロシアアヴァンギャルドと言う、ロシアで興隆した芸術運動の中の一派。
カジミール・マレーヴィチを中心として活動-シュプレマティスムという絵画思想=絵画表現が生まれる。
この少し前、印象派の時代あたりから、『絵画を目に見えるものに近づけようとする行為』に疑念を持ち始め、『知覚』するとはどのようなことか?
と言う探求が、画家、哲学、心理学の世界で行われるようになった。お互いにシンパシーを感じて。
そしてそのマレーヴィチによるシュプレマティスムは行き着いた先? の絵画思想=絵画表現なのか?
無対象
描くための対象があれば、たとえその対象をある思想のもとに純粋に表現したとしても、その表層の、または潜在的な(無意識の?)イメージ=通念に、観る人の意識が回収されてしまう。
つまり、画家が表現したいと思う思惑からスライドしてしまう。のではないか?
と言う観点から、対象を取っ払って、『色彩と構図』のみで表現されたものが所謂至高の芸術だ!と言う考えに行き着く。
まさしくアヴァンギャルドだ。
そして、表現されたヴィジュアルは、平面幾何学形態そのもの、または平面幾何学形態が飛散したヴィジュアル。無対象と言う時点で行き着いているのに、さらにシンプルの極致に行き着いてしまう。
これまたエキセントリックだ!
カジミール・マレーヴィチ『黒い正方形』
カジミール・マレーヴィチ『シュプレマティストペインティング』
The Peak-ザハ・ハディド
コンペ案のThe Peakは実現されなかったので、その表現はドローイングのみ。
そしてそのドローイングは本来、水平-垂直の関係にある、またモノコック的なフレームの関係にある、スラブ(床、もしくは天井) と壁、をそれぞれ独立のパネルに解体。
(床-壁-天井から、単なるパネルに意味が還元されている。)
形態とその関係性と意味を解体された-独立した水平パネル=スラブが平面的に異なる方向性を持って積層する。
そして、パネル間を非垂直なヴォリュームが貫通。また斜めのパネルが、積層した水平パネルを結ぶ。(機能としては、非垂直のヴォリュームはエレベーター、斜めのスラブはスロープ?)
その関係性と意味を解体する=建築空間に対する通念の解体。
(床、壁、天井の関係性は水平と垂直で、その関係性の下に空間がたち現れる。そして、それは重力と言う因子がある故に当たり前の事実で、かつ合理的だ という通念。)
通念を解体した上で、新しい在り方を再構築する。
出来上がったその空間と、パネルが飛散したようなイメージのフォルムは、今まで見てきたものに回収されない。
通念を拒否して、『どんなイメージにも回収されない』事を目指す。そして、形態が飛散しているイメージ。
と言う点でまさしくシュプレマティスムの系譜と言って良いのだろうと…
ザハ・ハディド:『The peak』ドローイング
ザハ・ハディド:『The peak』サイトプラン
アーキグラムもヴィジュアルによる表現、ザハ・ハディドもヴィジュアルによる表現。
どちらも、ヴィジュアルだからこそ表現したい思惑、大げさに言って思想、を世間に対して流通できたのだろうと。
絵画が思考実験の最先端を行く良いサンプルか?
ザハ・ハディドはその後しばらくドローイングのみでしか活動できなかった。
(目指す建築形態が技術的に困難であるのと、それ故に建設費が膨大になってしまう事、またドローイングのみではその複雑な形態による技術的な問題点を洗い出せなかった、と言う理由からだと思うが…)
そのドローイングのみの活動期間を経て、その後は次々と現実の建物を建てて行き、ザハ・ハディドにしか表現できない=過去の何物にも回収されない建物を建築していく。
世界のコンペティションの常連になるのは必然 なのかもしれない。
(エキセントリックが故に色々な意味のレベルを孕んでしまう、とは思いますが…)
ザハ・ハディド『ヘイダル・アリエフ文化センター』-ザハ・ハディド展ホームページより
ザハ・ハディド展、見逃してしまいました。くぅ~ 行きたかった。
ではでは
藤塚(設計監理)