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フランク・ゲーリー展
2016年03月10日 (木)

フランク・ゲーリー展を観てきました。

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展示会はゲーリーの設計、施工プロセスを形造るアイディア、それを可能にする3D設計ソフトのクラウド化に焦点を当てていると言う印象で、クラウド化する故に不効率が排除され、その分設計のプロセスを有意義にすると。その不効率は建設費の30%にも及ぶと!

 

※模型スタディの後コンピューター上でその計画物件を3D化、同時にクラウド化し、設備、構造、施工の妥当性、コスト管理を同時進行にて行う。驚異的なプロセスだ。

基本的には設計変更は予算管理と反比例する関係だが、リアルタイムに全ての担当範囲でボトムアップして行くので、設計変更による誤発注等を無くす事が可能だそうだ。

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展覧会はゲーリーの建築における発想の源に焦点をあてた展覧会。故に建築の世界において、ゲーリーがどうして革新的なのか?がちょっとわからない。

だから、ゲーリー特有の建築形態が要請されるまでの思考のプロセスをトレースしてみたくなる。

 

近代建築

モダニズムはある種の還元主義で、それぞれのジャンルにおいて固有なものは何か=不必要なものは何かを明確にし、それを排除して行く。建築においては、有名なテーゼLess is moreで、排除した先の豊饒さを目指した。

 

それはスライドし様式化-形式化され、国際様式と呼ばれる建築のスタイルとなる。

 

様式化-形式化された時点で、そこに至るまでの思考の紆余曲折-プロセスはショートカットされ、単純化された記号となる。それは都市環境、とりわけ都市景観においては単純な記号の羅列となり=土着性はなくなり、世界至る所で同じ都市景観が現れる→景観の貧困化=その土地固有の独自性が霧散して行く。

 

そんな中、それを良しとせず、モダン建築に対するアンチをどう体系的な理論に集約するか?ってんでローバート・ベンチューリが現れる。

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ローバート・ベンチューリ:1925年~、アメリカ

ラスベガスのキッチュな商業建築を題材にとり、基本的には建物の表層=ファサードはある種のサインで、何かを伝えるアイコンであると。だから例えば商業的な目的の下では、下手をすれば、そのファサードは目立ちさえすれば良い、と言う事にスライドしてしまう。

 

それは中世ヨーロッパの、例えば教会建築のファサードを例に取れば、「教会である-権威である」事を伝えるファサードで、ベンチューリが例にとった、ラスベガスのキッチュな商業的なファサードと、構図としては並列だと。

 

さらにそのベンチューリの言説は、モダン建築の、その要求される機能、コスト、その先に現れる根拠ある建築形態も時代が下れば形式となり、つまりモダン建築だぞ!と言うサイン-アイコンとなってしまっている、と拡大解釈できる余地がある。

 

装飾を拒否したモダン建築も、時代が下れば、形式 → 装飾の範疇に回収されてしまうと。パラドクスの内に回収されてしまうと。

 

そこに理論的根拠を得て、チャールズ・ジェンクスが『ポスト・モダニズムの建築言語』でそれを補強する。

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それはリヴィバリズムで、デザイナーが恣意的に建物の表層を彩る過去の形態をセレクション-コラージュする。

あくまで表層のデザイン、と言うよりは過去の表層形態のサンプリングの羅列で、そこには空間の深みは無い、二の次だと。そしてさらにそれが消費社会とクロスオーバーして、最終的にはコマーシャルな記号ゲームに回収されて行く。

 

ポストモダン建築は、建築の中の『ある時代』を代表するスタイルとなる前に、単なる流行で霧散する。

 

そこからポストモダン建築なんてさ~、どう思う? と言うカウンターが要求される。

 

ピーター・アイゼンマン:1932年~、アメリカ

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:住宅第3号、1971年

フランスの思想家ジャック・デリダのディ・コンストラクション-脱構築に着想を得て、建築を-建築形態を考えるコンテクストを、脱構築する。今までの思考プロセスを解体 → 違う在り方へ再構築、そんなプロセスで表現できないだろうか?と。

 

(磯崎新も同時進行で模索していた。その時点で、建築家と言う範疇におさまらず、フランスの美術家-マルセル・デュシャンと一緒で、メタフィジカルな言説の場から、自分が活躍するフィールドを照射する事を試みる。)

 

※ちなみにデリダのディ・コンストラクションには、建築を含めた造形についての言及はないとの事。建築の世界においてはそこに着想を得て、モダニズムのジレンマから抜け出したかったと。時代が下った先の予定調和をどう突き崩すか?を模索している時に-ディ・コンストラクション-脱構築、と言う言葉のイメージの深さ、は渡りに船だったのかもしれない。

 

話がそれた、んで、それは、古典建築も含めた構造力学と施工性に合理性を求めた形態に疑いの余地をはさみ、その建築形態に対するアンチを示す事を模索する。建築の今までにない地平を示す事を目指す。

 

フランク・ゲーリーはその流れの中の2番目だ。

いや当時、『流れ』にもなっていない中で2番目だ。

 

フランク・ゲーリー自邸はポストモダン建築のカウンターを飛び越えて、モダン建築のカウンターとして機能したのだ。故にセンセーショナルを得たのだ。(実はこれが本当のポストモダンなのだ。チャールズ・ジェンクスのポストモダンはオルタナティブ・モダンと言った方が良いかもしれない。)

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:ゲーリー自邸、1979年:増改築

 

こう言った流れ-コンテクストを認識しなければ、ゲーリー自邸は単なるスクラップだ、と言うジャッジメントを下してしまう危険がある。ピカソの絵が単なる『子供の落書きだ』と言うジャッジメントを下すのと一緒だ。

 

そんな思考の紆余曲折があり、それをトレースする面白みが、そこには在る。

 

やっと、展覧会の感想に。

 

フランク・ゲーリー:1929年~、アメリカ

建築をはなから3Dで考える事に衝撃を受けました。

言われてみれば当たり前の事なのに。

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:模型スタディ、

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:同じく模型スタディ

 

そしてその建築形態は、今までにない形態、たからその空間体験も今までにない空間体験でそこを目指したのはかなり革新的だ。

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その形態をどうリアルな物とするか?=部材同士の納まり、設備、構造、施工性、コスト、特にコスト管理、工期管理。

 

それを、実現するために自身の設計事務所とは別に、ゲーリー・テクノロジー社を立ち上げ、スタディ可能な、クラウド可能なソフトを自ら開発してしまう。

その『建築する意志』に、ただただ感服してしまうのでした。

 

1988年、ニューヨーク近代美術館にて「脱構築主義の建築」展が開催され、ピーター・アイゼンマン、フランク・ゲーリー、レム・コールハース、ザハ・ハディド、コーメ・ヒンメルブラウ、ダニエル・リベスキンド、バーナード・チュミは、フィリップ・ジョンソン キュレーターの下、この展覧会に取り上げられた。

 

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:ダニエル・リベスキンド:ユダヤ博物館

 

このメンバーの内の一人、ザハ・ハディドは紆余曲折ある新国立競技場コンペティションの勝者で、こちらもゲーリー・テクノロジー社のソフトを駆使し、その複雑な形態の建築物を実現している。

 

新国立競技場は、建設費の事で右往左往した。

それは日本が、世界最新の建築設計思想と施工をコントロールする術を有するザハ・ハディド・アーキテクツと、コミュニケーションをする術を持ち得たのだろうか?

と言う疑問の余地を挟む隙を自ら作ったのと同義かもしれないし、そうじゃないかもしれない。

 

また、国際コンペで採用、後にそれを取り下げる。

その意味は、『建築を含めた文化的な信用の失墜と同義だ。拡大解釈して、日本は全てにおいて、信用能わない。と言う事に関して、理解しているのかはなはだ疑問だ!?』

と誰かが言ったとしても、反論の余地は少ないかもしれない。

 

最新の建築の在り方を示し、建築の文化を牽引し、過去を乗り越え、そしてそれを実現するための最新技術を有するザハ・ハディド・アーキテクツ。

 

その建築家が、その組織が示したプランを予算度外視で、いや、日本独自の緻密な予算管理で国家の維新をかけて、是が非でも実現する道もあったのでは?と思うゲーリー展でした。

 

まあ、それぞれ色々な立場、環境があるので、2項対立のようなものの見方は危険なのですが。それこそジャック・デリダのディ・コンストラクション-脱構築にて解決すべきだ! なんて?

 

ではでは。

 

藤塚(設計監理)

 

 

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